ハンブルクへ

<「マッキンレーの山は雪のかがやく」>

 アンカレッヂを飛發つ時には、もう流石に拍手はなかつた。飛行機が水平飛行に移つてから、何の氣なしに窓から地上を見てみると、眼下には數へ切れない程の雪山が遙かにまで廣がつてゐた。その眞白な雪山一つ一つに陽が差してゐて、何とも美しく輝いてゐる。こんな景色は今まで見た事がない。とにかく窓の外を見渡す限り、無數の雪山しか眼に入つて來ないのだ。

 余談になるが、歸朝後、昭和天皇御渡歐の際の

 アラスカの空にそびえて白白とマッキンレーの山は雪のかがやく

といふ御歌を拜誦したとたんに、飛行機からアラスカ山脈を見下ろした時の小生の氣持ちが見事に呼び覺まされ、しばらくその感慨に耽ってゐた。

 天皇といふと直ぐ、あるべきが正しいか、なくなつた方がよいのかといふ問題にばかり關心が持たれ、天皇の御心そのものに觸れようと努力する人は少ないのではあるまいか。しかし相手が誰であれ、人の心に觸れようとするといふ事は容易な事ではないのだ。さういふ容易ではない事を全く抜きにして、今の日本にとつて天皇制といふものが必要ならばあつた方がいい、といふ合理主義者じみた考へのみから天皇を見つめても、愚問を導出すに終はるだらう。小生は、所謂「右翼」と呼ばれる勢力においてでさへも、自分達の理想を實現する爲だけに天皇制を利用してゐるのではないかと思ふ事がある。

 ずつと窓の外を眺めてゐたが、本當に山の他には何も見當たらない。あんまり山ばかりなものだから、終ひには、もしこんな所へ墜落したならば助かる見込みは皆無だらうな、などと縁起でもない事を思ひ浮かべてしまふ次第であつた。

<食事が拷問!?>

 山も見慣れてしまへば、何だか眠くなつて來た。これから、北極を越えて歐州はドイツへ行く。次の給油地のハンブルクまでは、あと2時間程あるから、睡眠には丁度いいだらうと思つてゐたが、さう上手く行くものではなかつた。今は日中なのだ。2時間程うつらうつらとしてゐると、晝食だ、と起こされた。起きて直ぐだつたし、それに昨日から殆ど座りつぱなしで運動もしてゐないのだから、食欲などある筈がないのだが、まあ折角だからと平らげる。腹一杯になつて寝てゐること數時間で、今度は夕食だ。寝てゐたから何時間經つたか知らぬが、ちよつと夕食には早過ぎるのぢやないかと思つたが、表はもう既に暗くなつてゐる。機内食も運ばれて來たのだから食べなくてはならない。どうもこの機内食といふものは、航路中の現地時間で取る事になつてゐるらしい。ここまで來ると食事も拷問に近い。無理やり口に詰込んで飲込む。最早メニューなど覺えてゐない。フランクフルトでは、旅客は皆フォアグラのやうに丸々と太つて飛行機から降りる事になりさうだ。大食漢であつた小生も流石に參つてしまひ、喰ひ過ぎで氣持ち惡くなつてしまふ。

 この夜は「ウノ」をやる元氣など勿論なく、ぐつたりして眠つてゐた。どのくらゐ經つてからか、例のハッカの香りのするタオルが配られた。もう起床のやうだ。朦朧としながら顏を拭いてゐると、着陸態勢に入つたとのアナウンスが耳に入つたので、座席のベルトを締める。飛行機がグツと高度を下げる度に、心臓を上に置き忘れたかのやうな感覺があり、氣持ち惡さが次第に次第に喉元へと込上がる。身體は汗ばみ、意識も朦朧として來る。もう我慢も限界である。も、もう駄目だ! は、早く着陸してくれえああああ!

 といふ祈りか叫びが通じたのか、本當にあと一歩の處で飛行機は西ドイツはハンブルク・フールスビュッテル ( Fulusbuttel )國際空港へ着陸。ゆつくりと鼻で息をしながら、ああ助かつたのだ、と感ずる。

<ハンブルクの滑走路にて>

 ハンブルクでは、飛行機から降りる事はなく、機内で待機する。少し落着いてから外を眺めると、午前7時の筈なのに表は眞暗である。添乘員の上田剛氏に聞いてみると、ヨオロッパでは3月27日から Summer Time (夏時間)となり、前日までより一時間、時計の針を進めるのださうである。つまり、今日の午前7時は、おとといまで午前6時だつたといふ事だ。今日は28日ですから、まだ變はつたばかりで、奇妙にも感ずるのでせう、と上田氏は話してくれたが、日本にはかういふ慣習がないだけに、小生には本當に奇妙な事のやうに映り、頭がまたこんぐらがつてしまつた。

 給油中にドアーが開けられたので、小生はドアーの前まで行つてみた。冷たく強い風が全身に當たると、氣分も少し良くなつて來る。空は厚い雲に覆はれてゐて、何時の間にか夜はぼんやりと明けて來てゐる。

 小一時間程經つただらうか、間もなく離陸致します、とアナウンスが入つたので、小生はもう少しこのままでゐたかつたのだが、再び座席に戻り、ベルトを締めた。そして飛行機は愈々最終目的地のフランクフルト目指して飛び立つた。