フランクフルトへ

<「かしこきもの」>

 飛行機が上昇してゐる時、昨日のアンカレッヂでの夜明けを思ひ出した。今度は窓側の席にゐるからゆつくりと日の出を見る事が出來るだらう。上空には厚い雲があるが、飛行機が雲の上を越して飛ぶといふ事は幼い頃から知つてゐたし、雲を抜けた時の美しい景色もよく知つてゐたから、今度もきつとあの雲を越せば直ぐに綺麗な日の出を拜む事が出來るだらうと思つてゐた。ところが、飛行機が雲を抜けても一向に太陽は見えない。どんよりと曇つた景色のままである。上空を見ると、驚いた事に、もう一段厚い雲が重なつてゐるではないか。飛行機は、まだ一段目の雲を抜けただけなのであつた。そしてもう一段の厚い雲を抜けて、やうやく太陽を眼にする事が出來た。自然に關しても、まだまだ知つてゐるやうで知らない事があると思ひ知らされ、愕然としてしまつた。

 小生の考へ方の淺薄さを痛感しながら、窓の外を見ると、太陽は燦々と照り續けてゐる。それは本當に嚴かに、じつと、この世のあらゆる生命を、凝視してゐるかのやうに見える。今思へば、日本の神々について「かしこきものをかみとはいふなり」と言つた本居宣長の言葉を借りれば、この時小生にとつて太陽は正に「かしこきもの」であつた。してみると、古への人々が、否現代の人々でも太陽を神と信ずるといふ事も、別段不思議な事ではないのかも知れない。

<トイレに並ぶ長蛇の列>

 折角氣分も少し回復したところに、朝食が運ばれてくる。もう駄目だ。半分以上も殘し、ぐつたりとする。すると、詰込んだ分出て行く、といふ自然の法則に従ひ、便意をもよほした。トイレに行かうとすると、既にそこには長蛇の列が出來てゐた。皆同じやうに座つたままで、同じ時間に同じ物を食べてゐたのだから、よく考へてみれば同じ時間に出て當たり前である。

 相當長い時間待たされたあげく、やつと便座に腰を降ろしたと思つたら、丁度眞最中に、着陸するから席へ戻れ、といふサインが光つてしまつた。急にそんな事を言はれても、途中で止めるといふ譯にはいかない。ああ、これでもし墜落でもしたら、トイレからは小生の眞最中の死體が發見されて、みつともないだらうなあ、と下らぬ事を想像しながら、サインにはお構ひなしに續けてゐた。幾分か早めに用を足し、ドアーを開けると、スチュワーデスさんが小生の顏を見てにこりと笑つたが、これは「お疲れ樣」といふ意味にでもとればよいのだらうか。皆が既にベルトを締めて座つてゐる所に、一人でトイレから登場するのには、いささか照れがあつたが、仕方がないぢやないか、といふ顏をして、そそくさと席に戻つた。

<フランクフルト到着>

 ベルトを締め、飛行機に一番近い雲の邊りを眺めてゐると、楊枝の先端程の大きさだつたか、鳥の姿が眼に入つた。驚いて、あんな所に鳥が飛んでゐるぞと小生が言ふと、どれどれ、と皆窓の外を見る。本當だ、等と言つてゐる。これはすごい發見をしたものだ、と我ながら感心して、ずつとそれを見てゐると、何だか尻尾の邊りが青いし、随分と變な形をしてゐる。すると椎橋孝宏君(高1 トラムペット擔當)が、先輩、あれ飛行機ですよ、と言つた。そんな馬鹿なとよく見てみると、本當に飛行機ぢやないか。皆で本當だ、本當だと言つて大笑ひになつた。しかし、あんな小さいのが飛行機なら、あの後ろにある大きな雲は一體どのくらゐの大きさなのだらう。笑つた後で考へてしまつた。

 太陽の照りつけてゐる空から、厚い雲の下へと飛行機は降りて行く。もうすぐフランクフルトへ到着だ。さう思ふと氣持ち惡さも少しは抑へられてきた。随分と長い間雲を潜りはしたが、とりあへず何の事故もなく、ドイツ連邦共和國(西ドイツ)の丁度眞中、フランクフルト・マイン( Flankfurt Main ) 空港へ着陸。やつと着いた。成田空港から約十九時間。昔よりは斷然早い到着なのだらうが、それでも小生はすつかりくたびれてしまつた。