ホテルまで

<精神はまだ日本に?>

 各々手荷物を持つて、座席横の通路に竝ぶ。ぞろぞろとドアーの所へ行き、立つてゐるスチュワーデスさんに輕く會釈をする。ドアーからは廊下がロビーまで續いてゐて、飛行機から直接空港の建物の中に入れるやうになつてゐる。それにしても、この廊下は、雨に濡れずにロビーへ行けるといふ點では確かに優れものであるが、何か小生には物足りなさを感じさせる。やはり、タラップを一段一段降りて自らの足を地に着ける方が、もう少し到着の感動を味はふ事も出來るのではないか。どうも殺菌された乘り物から、またもや殺菌された建物に移動した、といふ感が強く、はるばる訪れて來た、といふ感じがしない。

 廊下を渡切つて空港の建物に入ると直ぐ、パスポートを片手に入國審査を受け、續いて税關を通る、といふ具合になつてゐたらしいが、實際は、何方も係員の前を通り過ぎるだけで審査は終はつてしまひ、果たして何方が入國審査だつたのかなど覺えてゐない。以外にあつけのない審査ではあつたが、ともかく、この者入國に適する人物、と法的には認められたのである。

 審査が終はると、成田から飛行機に乘せた荷物や樂器を受取る爲に、手荷物受取所なる所へ行く事になつてゐる。小生は飛行機を降りて、少しばかり緊張が解けた爲であらうか、寝不足と疲れとが一度に押寄せて、頭の中がぼうつとしてしまひ、何處へ行くのかなど解らずに、ただ機械的に皆の後を着いて行く。

 ふらふらと歩いてゐると、ターンテーブルのある部屋に入つた。ここで我々の荷物が運ばれて來るのを待つのである。やたらとさみしい部屋で、ターンテーブルの他に、ソファーが數個あるだけ。外を見れる窓でもあれば、もう少し氣分も違ふのだらうが、さういふ氣の利いたものなどはない。皆も疲れてゐて、お互ひ會話もないから、余計にさみしく感じる。こんな殺風景な部屋に閉込められて、どうしてここがドイツだなどと信じられよう。本當は千葉邊りを何週かして成田へ戻つて來たのですと言はれても、ちつとも不思議ではないやうな氣がしてしまふ。

 ターンテーブルに乘せられて來た荷物を受取つて、空港の外に出てみても、まだドイツに來たといふ實感は湧かない。實感がちつともないのに身體は確實にドイツにあるといふのはいささか奇妙な事だ。空港のコンコースで、外人ばかりだ、と言つたら、八尋君から「先輩、僕らが外人なんですよ」と笑はれてしまふ。バスに乘る爲空港の駐車場へ行つても、「すげえ、外車ばつかりだ」と思つてしまふ。小生の精神はまだ日本にあるやうだ。

<添乘員さん達>

 ホテルのあるケルンまで、2臺のバスでライン川沿ひのドライブをし、途中でマルクスブルグ城に立寄り見學する事になつてゐる。

 空港の外の駐車場へ行き、豫約してあるバスに乘らうとしたのだが、余り澤山バスがあるので一體どれが我々のバスなのかさつぱり判らない。やうやく添乘員さん達がバスを見つけ出したものの、膽心のバスの運轉手さんが行方不明だといふ。本當にこのバス會社大丈夫なのだらうか、といふ我々の心配を余所に、運轉手さん何事もなかつたかのやうな顏で登場。俺一番、とばかりに小生は一番後の席を確保する。疲れもふつ飛び、皆でワイワイ騒いでゐると、バスは凄いスピードで突然發車した。

 成田までと同じく、こちらのバスには松崎、南保兩先生が乘つてゐない。加へて2號車の添乘員さんは本間氏と佐藤純治氏で、佐藤氏は1號車、2號車の兩方に顏を出す事になつてゐるから、主に本間氏がマイクを持つ。もう一人の添乘員、上田氏は一號車の方に乘つてゐる。

 佐藤氏は、今回の添乘員のリーダーらしき人である。「ルックルックこんにちは」といふテレビ番組のレポーターによく似てゐたから、小生らは勝手に「ルックルック」などと呼んでゐた。

 上田氏は、添乘員の中では一番澁い。中年の魅力といふか、バーバリーのコートがよく似合ひさうで、優しさうで、淺黒い顏をしてゐる。丁度「アメリカン・エキスプレス・カード」のコマーシャルにぴつたり、といふ感じである。1號車の女子は「パパ」と呼んでゐた。何だかあぶない。

 そして、我等が本間氏は、添乘員の中では一番若さうに見える。佐藤氏に言はせると、本間氏は強靱な胃袋を持つてゐるのださうで、インド旅行の添乘員を務めた時、お客さんが全員食當りで苦しんでゐる中、一人平氣な顏をして食べまくつてゐたのださうだ。本間氏が話す氣の利いた冗談は、いつもバスの中に白けた空氣を撒散らしてくれた。それでも、とても樂しい人で、いつしか皆「本間ちやん」と呼んでゐた。

 早速その本間ちやんがマイクを取り、これからホテルまでの豫定を説明する。豫定には大きな變更があつた。

<アウトバーンの恐怖>

 この年の暖冬は日本だけではなかつたやうで、なんでもアルプスの雪解けが早くも始まり、これを源流に持つ川といふ川が氾濫してしまひ、川沿ひの道路は殆どが通行止になつてゐるのださうだ。從つてライン川も例外ではなく、ドライブは中止、當然マルクスブルグ城の見學も中止になつてしまつたのだ。

 皆疲れてゐるでせうから、早めにホテルに行つて休みませう、といふ事になり、アウトバーンなる高速道路を使ひ、ケルンまで行くことになつた。あらかじめ通貨の兩替を申込んでゐた者に、西ドイツの通貨、マルクが渡されると、後はホテルに着くのを待つばかりとなる。

 しばらくの間、我々を乘せたバスは街中を走り、小生が思つてゐたよりも日本と違はない景色が續くが、やがてアウトバーンに入つて繁華街から離れると、日本では殆ど見られないやうな景色を眼の當たりにする。道路脇に一直線に竝んでゐる細長い眞直ぐな木、思はず駆上がりたくなるくらゐ廣い廣い丘、遙か彼方の山に建つ古城、さういふものがとても珍しく小生の眼に映つて來たのであつた。

 バスがガソリンスタンドに入ると、早速降りて行つてジュースや菓子を買はうとする者もゐた。後で聽いたところによると、日本にもある「スニッカーズ」といふ菓子も賣つてゐたさうだが、店員がゐなかつたので買ふ事が出來なかつたのださうだ。店員がゐないのだから、當然運轉手さんがガソリンを自分で入れてゐる。入れ終はると再びバスは發車した。

 さて、再びアウトバーンを走り出すと、先程までとは打つて變はつて、日本では考へられない程速いスピードを出し始めた。ここの最高速度は時速130キロが推奨されてゐるのださうだが、推奨されてゐるとはどういふ意味だらう。規定されてはゐないのだらうか。余りの速さに背中がシートに着いたままになる事もある。このバスはカーブしたら勢い余つて倒れてしまふのぢやないか、と八尋君と話してゐると、さらにこのバスを一瞬で追越して行くポルシェの姿が小生の眼に入つた。

<ラインの氾濫>

 その後、本間氏のアナウンス。1號車に乘つてゐる「偉い人」から、折角來たのだから、アウトバーンから直接ケルンへ行くのではなく、少しバスで街中を觀光して行つてはどうか、と言はれたらしい。そこでこれから市内觀光をするといふ事になるが、小生は余り氣が乘らなかつた。早くホテルで休みたいし、大體、川が氾濫して川沿ひの道路が通行止になつてゐるのなら、當然使へる道路の方は澁滞となつてゐるであらう。しかし「偉い人」の誰だか知らぬが、逆らつて小生一人歩いてホテルへ行くといふ譯には行かない。團體行動なのである。嫌々だつたから何處の街へ行つたのかなぞ覺えてゐない。ただ、ライン川の氾濫で水浸しになつた街の樣子だけは、はつきりと覺えてゐる。滅多にないラインの氾濫を旅行者の我々がたまたま眼にする事が出來たといふのは好運であつた、といふ意見に出會つたが、小生にはさうは思へなかつた。自宅にまで川の水が容赦なく入つて來るといふ、住民にとつては一大事なのである。來訪者が、氾濫を見れて運が良かつた、などと言ひ出したら、捕まへられてぶん殴られたつて少しもをかしくはない。

 案の定、通行止で引返し、澁滞に巻込まれ、皆すつかりくたびれてアウトバーンへと戻るはめになつた。