ホテルにて

<バスが來ない!?>

17時前になつたので、集合場所であるロビーへ行く。これから明日の演奏會の練習を行ふ爲、ケルンの『日本文化會館( JAPANISCHES KULTURINSTITUT ) 』まで行く事になつてゐるのである。皆大體集まつてゐて、班毎に點呼を取つてゐる。班員がゐない場合は、班長か副班長がゐない者の部屋に呼出しの電話を掛けなきやならない。小生のゐた4班は、ホルン、トロムボーン、ユーフォニアム、テューバ、パーカッションのメンバー13名から成つてゐて、荒井先輩が班長、小生が副班長である。幸ひうちの班員は全員揃つてゐたので、さういふ面倒な事にはならずに濟んだ。そのうち、他の班も全員集合したやうで、後は迎へのバスを待つばかりである。

 ところが、小一時間程待つてゐてもバスがやつて來ない。添乘員さんがバス會社に連絡を取つてみると、どうやらライン川の氾濫の影響で、道路が澁滞してしまひ、バスが大幅に遲れてしまつたのださうだ。豫定では18時に練習が始まる事になつてゐる。これは困つた。バスが何時にホテルへ着くか見當も附かない。無論文化會館へも何時に着くものか判らない。仕方がないからタクシーに分乘して文化會館まで行くといふ手を使ふ。

 先づ樂器班の者を中心に、2臺のタクシーが先陣を切つた。この者共が文化會館まで何分で到着するかを計り、早く着くやうだつたら全員タクシーを使ひ文化會館へ、もし余りにも時間が掛かるやうであれば本日の練習は中止にする、さういふ事になつた。

 30分程皆で待つてゐたが、第一陣から連絡は來ない。これぢやあもう練習は出來ないな、といふ事でたうとう練習は中止になつてしまつた。先に行つた人達には會場のステージを設營しておいてもらひ、ホテルにゐる人達は食事まで自由時間にしませう、さう言はれたので、小生は部屋に戻りもう一休みする事にした。

<ロビーでくつろぐ>

 さういへば、東京を出て以來まだ風呂に入つてゐない。時間もあるのでシャワーを浴びる。部屋がアメリカン・タイプであるから、當然風呂場などなく、バスルームなる、風呂桶とトイレとを同居させた造りになつてゐる。これが困る。相方が風呂に入つてゐる間は恥づかしくて便所など使へやしない。外人は平氣なのだらうか。最初は湯船につからうと思つて、ジャアジャアお湯を入れてたが、待つてゐるのが退屈になつたから、足だけ湯に浸してシャワーで濟ます。垢こすりを山崎君に借りたものだから、風呂桶の中が垢だらけになつた。だから洋式は嫌だ。

 すつかり垢を落として、さつぱりすると山崎君がゐない。ホテルの外でも徘徊してゐるのだらう。小生も外へ行かうと、服を着てロビーまで行くと、大きなソファーに南保先生が腰を降ろしてゐた。小生が外へ行かうとするのを察したのか、今日はもう外へ出るのは勘弁して下さいよ、と言はれる。さういふ言はれ方をされては、仕方がない。ソファーに身體をあづけ、外から歸つて來る者を尻眼に眺める。

 ロビーの端の方に瓜生君の姿が見えた。先程の解散から何處へも行かず、ずつとロビーにゐて、樂器班の歸りを待つてゐるのださうだ。瓜生君は樂器班の班長でもあつたから、仲間の事が心配だつたのであらう。全く頭の下がる思ひである。

<夕食>

 その内、夕食の時間になつたからレストランに集まりなさい、と言はれる。文化會館へ行つた連中はまだ歸つて來てゐないが、ホテルの方の都合もあるらしく、殘つた者は先に食べるといふ事になつた。レストランはロビーから少し下りぎみの廊下を奥に行つた所にある。我々全員が座つてもかなり余裕のあるフロアである。小生は山崎君や宮坂武志君(高1 パーカッション擔當)ら現役の團員と一緒のテーブルについた。座ると直ぐ、ウェイトレスさんが飲物の注文を取りに來る。水にまた炭酸が入つてゐるといけないから、小生はオレンヂジュースを頼む。飲物が運ばれて來て、次いでスープ、料理といつた具合だつた。さういへば、米も少し出た。確か、ドレッシングを掛けてサラダ風にしたものだつた。細長いパサパサしたやつで、余り美味しくはなかつたが、何故かおかはりまでしてしまふ。後でだれかに聞いたら、あれは「インディアン・ライス」と言ふものだつたさうである。

 向かひ側にゐる卒團生の女共がワインなぞを呑んでゐる。上手くやりをつたな。こちらは、高校生と一緒のテーブルだからおほつぴらに呑む譯にはいかない。女はずる賢い。抜駆けだ、と小生が言ふと、だつて注文したら持つて來たのだもの仕樣がないぢやない、などとほざきやがる。全くふざけた奴らだ。

 食事が半分程進んだところで、樂器班が歸つて來たので、一同ほつと胸をなでおろす。瓜生君などは、食事に手を付けずに、ずつと皆の歸りを待つてゐたのだ。歸つて來た者に話を聽いてみると、澁滞はかなりひどいのださうで、普段なら三十分も掛からない文化會館へ行くのに一時間以上掛かつてしまひ、ホテルへは電車を使つて歸つて來たのだ、と言ふ。この分だと、明日も同じやうな事になるだらう。皆戻つて來たので、食は更に進む。

 食後、添乘員の佐藤さんから明日の豫定を聽く。明日は今日出來なかつた練習を午前中に行ひ、午前中に豫定してゐた自由行動は午後に變更致します、といふ事だつた。皆さん今日はお疲れでせう、明日は第1回目の演奏會もありますし、歸りはかなり遲い時間になりますから、今日の處はゆつくり休んで下さい、さう言はれた。
 次いで大石先生や、松崎、南保兩先生からも、早く休みなさいと言はれたが、皆まだ若いのである。退屈さへしなければ、疲れる事などない。當然この夜も皆遲くまで騒いでゐたのであつた。

<同室の山崎君>

 部屋の窓から眞正面に見えるドームは、ライトに照らされて、日中とはまた一味違つた姿を見せてゐる。夜の闇の中、青白く光るドームはなんとも美しい。山崎君と、いいねえ、他の部屋ぢやあかうは見えないだらうねえ、と改めていい部屋にあたつた事を實感する。

 その後、小生は持つて來た荷物の整理を始めたが、山崎君の方は既に整理し終はつてゐて、なにやら外へ電話を掛けてゐるやうだ。知り合ひだか何だかがドイツにゐるとかいふことで電話を掛けてゐるのだが、電話がつながらなくて困つてゐるのださうだ。たうとうつながらなかつたらしく、諦めて風呂に入つてしまつた。彼が風呂に入ると電話が何本も掛かつて來た。皆、山崎君はゐますか、と言ふので、終ひには電話に出るのが面倒になつてしまつた。

 山崎君は几帳面な人だ。あんまり几帳面なものだから、小生のやうな短氣な者は苛々してしまふくらゐである。そのせいか、直ぐ惱んでしまふ性格のやうで、先輩どうしませう、とよく話し掛けて來る。小生も始めのうちはどうしたのかと話を聽いてゐるのだが、話があんまりくよくよして來ると、何時までもそんな事言つてゐるんぢやないよと、つい切捨ててしまふのである。この日も確か定期演奏會の照明の係の事でくよくよしてゐて、あちこちに八當りしたあげく、先輩どうしたらいいのでせう、なんて言つて來るから、終はつたものはどうしやうもないだらう、悔しいならまた來年やれ、と一喝してしまつた。後日、定演の反省會の折、先輩に何時までもくよくよするなと怒られたので來年はしつかりやりたいと思ひます、と彼が言ふのを聽いて、ははあ、小生の短氣もたまには役に立つものか、と思つた。

<恐怖の3階>

 さて、その山崎君が風呂から上がり、窓の把手をいぢくつてゐる。どうしたと聽くと、把手が壞れてゐて窓が閉まらないと言ふ。それは困つた。部屋の中は暖房が効いてゐるとはいへ、夜中に窓を開けつ放しとなれば、いくら何でも寒からう。ここは北海道より北にあるのだから。しばらくいぢくり廻したがどうにもならないので、添乘員の部屋に助けを請ふた。直ぐに佐藤氏がやつて來て、同じやうにいぢつてゐたが、やはり窓は閉まらない。フロントに電話して係の人を呼んで貰つたが、係の人でも直らない。こりや部屋を代へるしかないね、といふ事態になつた。折角いい部屋だつたのに、と言ふと、2階は全部使用してゐますから、3階の同じ部屋に移りませう、部屋は勿論綺麗ですし、窓からの景色はもつと良くなりますからと言はれ、それなら面倒臭いが、まあいいだらうと承諾する。

 エレベーターが3階に着き、ドアーが開くと同時に、たちくらみのやうな、めまいのやうなものが小生を襲つた。電氣は半分消え掛かつてゐて薄暗く、廊下のカーペットなどは敷いてをらずコンクリートが剥き出しだ。それに、壁紙は半分くらゐ破れて、そこから電氣のコードらしき物が何本も突き出てゐる。3階は正に廃墟とも言ふべきうす氣味惡い所であつた。いつ化け物が出ても少しも不思議ではない。確かに部屋の中は綺麗だが、こんな所は御免だ、何時までこの部屋にゐなきやならないのか、と聽いたら、この時期修理屋が休みだから、旅行中はずつとこの部屋になるでせうね、と言はれてしまつた。仕方なく部屋の鍵を受取る。

 さうと決まれば嫌々ながらも引越しをしなければならない。やうやく荷物を整理したばかりなのに。電話で後輩の石井君ら男子共を呼集め、手伝はせた。あいつらめ、エレベーターが3階へ着くなり、腹を抱へて笑ひころげやがつた。

 荷物を全部運び終へると、松崎先生と他何人かの所へ部屋が代はつた旨を連絡した。その後物好きにも訪ねて來る者もゐて、さういふ奴らは決まつて大笑ひして、それぢやあ、と言つて歸つて行く。遊びに來いと言つても、歸る時の廊下が怖いからと言つて、誰も遊びに來やしない。それならこちらから、と小生は八尋君の部屋に遊びに行つた。八尋君は中島隆弘君(中3 トラムペット擔當)と同じ部屋である。八尋君は何處かへ遊びに行つてゐて、部屋には中島君と、彼と同學年の寺尾直之君(テューバ擔當)、荒木大地君(トロムボーン擔當)がゐた。外で菓子を買つて來てゐたらしく、ゼリーと飴の間みたいな菓子を御馳走になる。しばらく下らない話をして、自分の部屋へ戻つた。

<續 恐怖の3階>

 3階の薄暗い廊下を渡りながら、なるほど誰も來たがらない譯だと納得し、部屋のドアーに鍵を入れる。建てつけが惡いのか、右に廻しても、左に廻してもドアーが開かない。何時までもこんな薄氣味の惡い所に一人でゐたくはない、と焦るものだから、慌ててしまつて余計に上手く行かなくなる。何回やつてみても駄目である。冗談ぢやない、と逃げ出して、2階へ助けを呼びに行つた。丁度八尋君と、そして小生とは同學年であつたがこの時まで一度も口をきいた事のなかつた井手恵子女史(フルート擔當)に出くはす。何とかならぬものか、と八尋君に事情を説明すると、井出先輩が上手ですよ、と言ふ。あたし鍵を開けるのが得意だから、と本人も言ふのでお願ひする。4年も同じ樂團にゐて、もう卒團してしまつてから、初めて口をきいたといふ事は、この樂團ではちつとも珍らしい事ではない。これは大きな問題であるが、今はそれどころではない。

 3人で廊下を恐る恐る歩く。随分凄い所ねえ、と言ひながら井出女史が鍵を入れる。2、3回鍵をひねるとカチリと音がして、めでたきかなドアーが開いた。3人して、おおお!と言つて、安心して部屋に入ると、眞暗な中突然物凄い音量でベルが鳴つた。暗闇の中、それぞれ違つた悲鳴を精根込めて叫ぶ。それが電話と判り、しやがみ込んだままの井出女史を余所に、怒りながら受話器を取つた。もう「 Hellow 」などと言へる状態ぢやない。もしもし、と言つたら相手は石井君で、笑ひながら、「せんぱあい元氣?」なんて言つてやがる。「へローぢゃねいやい、馬鹿野郎! びつくりするぢやねえか!」と怒鳴りつけてやつた。

<就寝>

 部屋に戻つてしばらくすると、山崎君も歸つて來た。十二時を廻つた頃か、他の部屋より先に寝てしまつた。寝込んでしまつた後、また電話が鳴つた。いい加減にしてくれ、と思ひながら、もしもし岡山ですと言ふと、女の聲で、「さつきそつちの部屋に行つたけれど誰もでて來なかつたわよ」と言つてゐる。寝惚けながら、ははあ、この聲は安江女史だな、と思ひ、「そんな事は知らん明日來い、俺はもう寝る」と言つたら、「は〜い」と言つて切れた。隣の山崎君は全然氣づかず、すつかり寝てしまつてゐる。ああ、女の子からとは言へ、迷惑な電話だつた。さて、寝よう。今日は色々あつた。

 かうして、山崎君の掛けたモーニング・コールに起こされるまで、長旅の疲れを癒すが如く熟睡させてもらつた。しかし、旅行中ずつと一緒の部屋になつてゐる山崎君と、同じ部屋で寝るのがまさかこの日だけであつたなどと誰が考へたであらうか。