13/8/10 「扶桑社の歴史教科書」


 東京都の公立養護學校で、扶桑社の中學校用教科書が採用されたさうです。それに異議を唱へる數名の人が、カメラの前で、眼を三角にして發した言葉。「誰のためにもならない教科書を、病人だからと言って使はせるのか!」と。誰のためにもならないとは、ワタシもその中に含まれてゐるのか。

 採用を檢討した教育委員會のメンバーの元には、扶桑社の教科書を採用しないやうに求める手紙がカミソリ入りで届いたり、家族や市民に危害を加へることを示唆しつつ、採用を見送るやう求めた手紙やFAXが届くなどの脅迫が續いてゐるさうです。ワタシにはとてもそれは民主的とは思へません。「あの教科書は、國民を戰爭に駆り立ててゐる」と騒ぎながら、人を脅迫して憚らない。思想的弾壓とは、決して爲政者からのみ成されるものではないやうですね。

 でも、一番怖いのは、おそらく近隣諸國からの弾壓です。「お前の所には○○は派遣しない」「お前の所の○○との交流はお斷り」これが一番怖い。仲間外れにされる。これが一番怖いでせう。「今日ウチでパーティーやるんだ」「ホント? ぢゃ行くよ」「お前は呼ばないよ」・・・「今日ウチでパーティーやるんだ、來てよ」「お前の所なんかに行くもんか」・・・ 私達個人の日常生活に於いても、どんな理由であれ、自分が仲間に入れて貰へないこと、無視されること、話を聽いて貰へないことは、本能的に怖いのではないでせうか。それを知りながら、さう言って來る諸外國と、どのやうに付き合ふべきなのか。本當の友好とは? 虐められる奴にも、虐められる理由がある、とも言ふ人もゐます。しかし、虐められる理由があるから虐めて構はないと思ってゐる人と、そのまま、いいお友達になれるのでせうか。また宿題が増えました。