13/8/15 「夢」


 こんな夢を見た。

 以前に住んでゐた家で目が覺めた。母と妻が部屋を掃除してゐる。父はまだ隣で寝てゐる。寝ぼけた面で、お早うと言ふと、二人とも「あら、お早う」と言ひながら、忙しさうに片づけをしてゐる。誰か客が來るらしい。

 どのくらゐ前だったか分からないが、私はこの女と結婚してゐた。押し掛け女房だった。素朴で飾り氣のない、生眞面目でよく働く女で、勉強會の合宿で私を見たといふ。ある日家にやってきて、どうしても結婚したいと言って來た。なんといふか、本來大人しかったであらうその女の、一途な姿に心が動いて、後先考へず、婚姻届に判を押したやうである。結婚式も何もない。その日から一緒に住み始めた。もちろん夫婦生活なんてものはない。

 家には親戚が集まってきた。家の中は狭く、座るところがないので、本棚を移動して、その隙間に歳をとった伯母を二人座らせるほどだった。私は二人に「すみませんね」と言ひながら、座布團を差し出さうとするのだが、座布團がなく、小さなクッションを代はりに差し出した。なんの集まりだか知らなかった。そのうち父も起きてきた。妹も來て、椅子に腰掛けると、背もたれの方をだらしなく向いて、ニコニコ笑ってゐる。側でお膳を拭いてゐる妻が、「妹さん、いつもかわいいわね」と言ふ。こんなに親戚が來るなら、パジャマなんか着てゐる場合ではない。顏を洗って、着替へようと思った。何だか分からないが、ビデオか8mmの上映があるらしい。しかし、始まる前にみな歸ってしまったやうだ。

 散らかったテーブルでお茶を呑んでゐると、妻が神妙な面もちで隣に座った。こんな生活、もう我慢できません、もう家へ歸りますと言って涙ぐんでゐた。自分は、女の不憫をあれこれ思ひ出し、なんの喜びも與へてやれなかった自分に氣が付いた。そこへ客が來た。妻の父親だと思って、初めましてと挨拶すると、長男です、と頭を下げた。やや長髪の痩せた中年で、大きな眼鏡に大きな目がギョロッとしてゐる。身なりはフォークシンガーのやうで、なんだか活動家のやうな感じだった。苦手なタイプである。彼は眞劍な顏で、早く定職に就いて下さい、と訴へかける。私は約束します、と應へた。續いて、溌剌とした小ぎれいな母親がやって來た。髪は短く、余所行きの白いスーツを着て、ハッキリものを喋る。妻とは随分違ふタイプだが、何か納得できる感じもした。離婚なんてしませんよねと、きっぱり言ひ放たれるが、返事が出來なかった。

 奥の部屋で再び寝てゐる父親に、妻の母親とお兄さんが來た旨を告げると、なんとお兄さんも一緒に、布團に潜り込んで寝そべってゐた。急に嫌な氣分になった。母親もお兄さんも、さっさと歸ってしまった。玄關で母が見送ってゐる。

 私は、初めて妻に聲を掛けた。ちょっと話をしよう、と。まづ、我々は夫婦の會話がなかったのだ。奥の部屋に行って襖を閉めると、まだ父が其處に寝てゐた。仕方ないので、お膳のある方の部屋に座る。妻は結婚してこの方、なんの心の交流もない、と嘆いてゐた。そして口には出さなかったが、私が定職に就かず、兩親と、この狭い都營アパートに居候させて貰ってゐる肩身の狭さも、辛かったやうだ。唯一、かうした話を聽いてくれたのは、近所の美容院で、夜中に、たまらなくなって相談に行ったことさへあったと言ふ。家へ歸りたくてしやうがない、と泣いてゐる。話を聽きながら、自分はそんなにもこの女を苦しめてゐたのか、と思ひつつ、それを私には一切口にしないできた妻が段々哀れに思へて來た。私はこの女を家に歸してやらうと思った。

 私はどこか遠くへ行く列車に乘ってゐた。今、驛に停車してゐて、兩親と妹は驛辨を買ひに行ってゐる。一人席にゐて、やっと一人になれたと思った。この奇妙な話の色々なことを思ひ出してゐた。ホームでは子供らが驛員を呼んで騒いでゐる。鳥の雛が、電車とホームの間に落ちてゐるらしい。さういへば車内に、七面鳥が一羽、紅い顏して、目をギョロつかせて止まってゐる。私は、前にゐた會社の同僚が結婚の祝ひにと作ってくれた、寸劇のビデオのことを思ひ出してゐた。憶えのあるなつかしい顏と、知らない社員の顏が見られた。父と妹は、辨當をしこたま買ってきた。こんなに澤山、一體誰が食べるんだ、と言ふと、賑やかな方がいいんだ、と父が言ふ。妹も、さうさう、と頷いてゐる。母はお茶を買って來た。みんな私に氣を遣ってゐるやうだった。

 母とどこかへ買ひ物に出掛けた。用事を終へて、バスを待ってゐたが、何時まで經っても、バスが來ない。邊りをよく見ると、バス停なんかありやしない。母に、バス停もないのになんでここに立ってゐるのかと聞くと、なんとなくと言ふ。よくわからないが、私に氣を遣ってくれてゐたらしい。ウーロン茶でも買って歸らうかしら、と言ふから、まだ家にあるんぢゃないか、と應へた。ああ、さうだ、さっき客が澤山來たから、もうなくなったかも知れないな、と思った。なんだか今日はくたびれた。道路の向かう側には、アパートにそっくりなホテルがあった。私は母にも色々氣を遣はせたと思ひ、お茶でも飲んで、ゆっくりしようよ、と言ふ。入口に行くと、獨特の造りに妖しいネオンが點いてゐる。ちょっとお母さん、ここはラブホテルだよ、昔で言ふ連れ込みだ、と言ふと、あらやだと言って大笑ひしてゐる。反對側の入口は、普通のホテルのやうだった。母はマネージャーっぽい人に「こっちもラブホテルなの?」などと聞いてゐる。違ふらしいので、部屋をとることにしたが、3萬圓だと言ふ。即座に、キャンセルですと私は言った。マネージャーは急に聲色を低くして、では、これ、と言ってキャンセルを記した大きな領収書を渡してきた。もう家へ歸らうよ。私は母を促して、家路についた。