13/09/11 「ニューヨーク・テロ」


9/11 記す

 アメリカでは、えらい惨事になってゐるみたいですね。

 三日ほど前、飛行機が墜落していく夢を見ました。実は昨日も、旅客機に乘って離着陸を繰り返された(それも、高速道路から飛び立ったり、空港の建物をかすめてゐたり)擧げ句、高層ビルに降り立つ(どこに飛行機を停めたのか判りませんが)といふ、變な夢を見ました。高層レストランラウンジでお茶してたりして・・・。大して氣にも留めてゐませんでしたが。


9/13 記す

 色んな報道が錯綜してゐますが、むしろ私達は、このあちこちから出てくる情報を見極めて行くことが大事なのではないかと思ひます。大量に流れてくるデマや憶測に右往左往せず、確實な情報を確實な物として受け取り、その上で判斷すべきかと思ひます。

 大正12年9月1日、我が國は、未曾有の大震災に見舞はれ、その混乱の中で、様々な憶測が飛び交ったさうです。朝鮮人がこれを機に、普段虐げられてゐる者として井戸に毒を投げ込んだ、と言った話が流布し、そのお陰で非常な目に遭った朝鮮の方もゐるとききます。そんな中、それは本當なのだらうかと、大混乱の中、自警團を組んで、自分の困難を省みずに、各地を見回り合ったといふことを、ワタシの曾祖父が書き記してゐます。岡山專太郎著 國民自戒「震災忘れまじの歌」)

 もし、「きっと朝鮮人がやったに決まってゐる」と思ってゐたら、そのやうな自發的な行動は決して起こらなかったのではないかと思ひます。「これは、果たして、本當なのか」といふ氣持ちがあったから、自警團を組織したのでせう。ワタシが歴史の授業で習ったのは、「このデマにより朝鮮人はさらに迫害された」といふことのみで、この當時に曾祖父の記したやうな眞摯なる國民の思ひがあったといふことなど、今や觸れられるどころか、すっかり無視されてしまってゐるのが現状なのです。

 ワタシ自身も、色々勘ぐりをしてしまふのですが、ここは、曾祖父や、その當時の心ある方々がされた態度を、取るように努めたいと思ひます。


9/13 記す

 今回のテロに對する報復が行はれれば、核戰爭にまで至るのではないかと氣にしてゐる人が多いやうですね。ワタシが何か言ったからといって安心されるとも思ひませんが、ちょっとだけ書きます。まず落ち着いて考へることです。

 戰爭は、戰爭に勝つことによるメリットと勝算がなければ、好きこのんで起こす人はゐないでせう。また、よほどに痛めつけられた者が、その痛めつけたものに對して挑むことはありますが、今回の攻撃の首謀者が、果たしてさうなのかどうか判りません。次回の戰爭は核戰爭だといふ懸念が、特に私達の年代(學校でさう教はった)にはありますので、色々詮索してしまひます。しかし、慌てないことです。そして妥協しないことです。相手の要求、意思が何なのかを知ることに努めることです。

 今回は、どうも機構を「象徴」し「集中」する物を狙ったやうに思へます。とすると、これは相手に勝つために敵の要所を抑へるといふよりも、自分達の意思を表明するパフォーマンスをしでかしたやうにも受け取られます。もし攻撃の首謀者が、世界を巻き込んで、自滅の路を選ぶのだとしたら、最初から、核兵器が貯蔵されてゐる軍事施設を狙ったことでせうし、徹底的にアメリカと戰って決着を着けようといふ意志があるならば、やはり軍事施設を重點的に攻撃し、敵の統率力を弱めることに專念したことでせう。もっとも、パフォーマンスをしつつ、アメリカに負けぬ軍事力を從へた組織が首謀者であれば、話は別ですが。

 これに對して、アメリカが軍事的報復をすることは、勿論考へられます。この徹底制壓を、ブッシュ大統領は「單なるテロ行爲ではなく、戰爭と認識してゐる」と言ったのでせう(でも、アメリカは宣戰布告まではしてゐないのですから、戰爭ではありません)。恐らくアメリカ全軍力と、NATOの軍力を投入して、必ず報復制裁するでせう。以前から、アメリカはNATOと共に、各國に軍事的報復をしてきました。

 しかし、それで核戰爭になると即斷するのは、オイルショックになったといって、スーパーでトイレットペーパーを奪ひ合ふ感覺、つまりパニックに陷りかかってゐるかとも思はれます。氣持ちが判らないでもないですが、まづ、相手の立場に立って、落ち着いて考へることです。アメリカは第2次大戰後、これまでに、非常に強氣の軍事報復演説を行ってきました。第2次大戰後、アメリカは何度も戰爭に携はって來ましたが、一度も核兵器は使ってゐません。使ふメリットがなかったからです。強氣の發言は、アメリカのパフォーマンスとも言へるのではないかと思ひます。
 もしアメリカに對して核兵器による攻撃がなされたり、或いはアメリカの核貯蔵施設が攻撃されて被害があった場合は、どうなるか判りません。その時は、もしかすると、アメリカも核兵器を使用するかもしれません。しかし、今回は、そこまでの軍事組織力のある相手ではないのではないかと思ひます。

 それと、もう一つの懸念があります。今回のことで、宗教、取り分けイスラム教に對する偏見が生まれはしないかといふことです。キリスト教にも、狂信的教團があり、佛教にも、そのやうな過激な教團はあります。イスラム教だと言って、即座にテロ組織といふやうなレッテルを貼らず、その相手が言ふ事を、落ち着いてよく聽くべきでせう。それに、まだイスラム教の過激派組織であるかどうか、はっきりはしてゐないのですから。

 核戰爭にまではならないのではないか、とは思ひますが、決して安心は出來ません。いざといふ時のために、家族にお互ひの所在を知らせ合ふなど、平時においても大事なことを確認し合ふことは、必要でせう。ちなみに家は、いざといふ時の待ち合はせ場所を、ワタシが子供の時から決めてゐました。どうしても、連絡が取れなくなったら、なんとかしてそこで待ち合はせよう、と。勿論、使ったことはありませんが(笑)。


9/14 記す

 先程、TVの報道を見てゐたら、今回のアメリカのテロは、日本の眞珠灣攻撃のやうなものだ、といふコメントをする人がゐました。いくらテロの被害者だからと言って、それはないだらうといふ氣がしました。

 日本は眞珠灣といふ軍港(軍事施設)を攻撃したのであって、アメリカの民間機を乘っ取って、民間施設を攻撃したのではありません。まして、アメリカのやうに非軍事施設を公然と攻撃してはゐませんし、原爆投下といふ世界公認無差別殺戮(實驗)もしたことがありません。映畫「パールハーバー」では、日本の戰鬪機が醫療施設を執拗に攻撃するといふシーンがあったやうですが、それをそのまま鵜呑みにする人もゐる。インタヴューに應へた人も、ようは奇襲攻撃に變りはない、といふ事を言ひたかったのかも知れませんが、それにしては、例へが惡過ぎる。結局アメリカの人は(といふかさういふ報道を平氣で公共の電波にのせてしまふ日本のマスコミのニヤリとした顏さへも浮かんでくるのが癪だが)、未だに、日米の開戰に對して、その程度認識しかないのではないかといふ、疑念を新たにしました。