あとがき その二

 この論文は、平成四年の暮れに、大正大學文學部哲學科の卒業論文として執筆したものである。學科に提出後、卒業を目前にして加筆訂正し、ワープロにて製版、數部を印刷して師友に差し上げるのみであった。この度、その元になったワープロファイルを變換し、ホームページへの掲載が實現したことで、よく多くの方に御判讀の機をご提供する運びとなった。何年も前の論文を殆どそのまま掲載するといふことに、躊躇ひもあったが、この論文で採り上げた問題は今も依然として筆者の心の中にあり、寧ろ一層切實に感じられて來てゐるやうにも思ひ、恥を承知で掲載しようと決意した。

 贅澤にも、亞細亞大學、大正大學と二つの大學に通はせて貰へた筆者が、學生時代に學んだものはと言へば、正に言葉に對する己の態度であった。幼少の頃から、口から先に生まれて來たと、よく言はれてゐた筆者は、己の思ひを言葉にする困難、そして相手の思ひを受け止める困難を、容易には感ずる事が出來なかった。それだけに、この論文を亞細亞大學の恩師、東中野修道教授より「自分の言葉で書かうと努力してゐる處が印象に殘りました」との有り難き御批評を頂いた時には、自分は本當に大學を卒業する資格を與へられたのだと感じた次第であった。

 フィヒテの言語に關する論考の部分(第三章 第二節「我々は言葉をどのやうに捉へるか」)は、是非若い皆さんにも讀んで頂きたいと思ふ。

 「言葉は變化するものなのだから、どんなに新しい言葉の使ひ方が出て來ようとも、意味が通じるのであれば、とやかく言ふ必要はない。」「人それぞれ、顏つきも考へ方も違ふ。さういふ他人同士が本當に共感し合へる筈などない。みんな何處かで妥協してゐるのだ。」「人は常に個人であることが大事で、家庭や交友や國家や共同體などの束縛から解放されてこそ、自由が手に入るのだ。」

 といふやうな意見に、どうも納得が行かず、五年間の大學生活を振り返りつつ、難解なフィヒテの文章を毎日自力で讀んで行ったことを思ひ出す。納得し易く尤もらしい意見に惑はされず、如何に問題に取り組むか、その姿勢を今も忘れないやうに心懸けたいと思ふ。

平成十一年一月記す