まへがき

 ソクラテス、プラトンの名は、特に哲學や倫理學を勉強した事のない人にも大變よく知られてゐる。高校の現代社會や倫理の時間に、ソクラテスは「無知の知」といふものを説き、プラトンは「イデア論」といふものを説いたなどと教へられるものだから、自分とはあまり關係のない、難しいことを考へた哲學者だらうといふ印象を持ってゐる人も、少なくはないのではないかと思ふ。

 さう言ふ人は、恐らくプラトンの著作など、一度も讀んだことのない人であらう。また、讀んだと言ふ人も、實は目を通したといふ程度で、プラトンの魂に觸れようといふ精神的努力を拂ったかと問へば、果たしてどうであらうか。しかし、プラトンの魂に觸れようともせず、ソクラテスはああ言った、プラトンはかう言った、といふ既成の知識のみで、ソクラテス、プラトン像を作り上げてみても、それはソクラテス、プラトンを空想してゐるに過ぎないのであるまいか。

 私は大學時代にふとした切掛けでソクラテス、プラトンと出會った。以後この二人は中々私の心の中から出て行かない。それは私が二人を離さないで來てゐるといふことかも知れない。だから私は空想などしない。プラトンを讀んで、自分の心に觸れ、自分の心が揺れ動いた處を、戀をした人が日記を書くやうに、書かうと思ふ。


 ソクラテスがこの世に一行の文章も書遺して逝かなかったことは、余りにも有名である。ソクラテスの思想を受繼いだと言はれるプラトンは、ソクラテスの對話を、多くの「對話篇」として書遺した。そこで、ソクラテスの魂に觸れようとするならば、まづ、ソクラテスを惚抜いた者の魂に觸れようとることから始めたいと思ふのである。

 本論で採上げる對話篇『パイドロス』は、プラトンの作品としては中期の著作と言はれてゐるやうである。年老いたソクラテスと、若者のパイドロスとの對話である。副題は「美について」となってゐて、深い思索を重ねてきたソクラテスと、血氣盛んで情熱的な若者との瑞々しき心の交流が、諧謔を交へた對話にて見事に繰廣げられて行く。

 もし、本論を讀むことによって、讀者がソクラテス、プラトンについて、或は神話について、戀愛について、言葉について、智慧について、哲學について、そして人生について、共に考へて行く何らかの切掛けとなったならば、筆者はこの上もなく幸ひである。


 なほ、筆者はギリシア語については全く無知なので、原典は邦譯に據らざるを得なかった。邦譯は、藤沢令夫氏の『パイドロス』(岩波文庫)であった。最も手輕に入手し易い文庫本であるり、これから『パイドロス』を讀んでみたいといふ方に、お勸めの邦譯である。拙稿では、出來るだけ直接の引用を控へてある。興味を持った方は、是非原典に觸れて頂きたいと思ふ。

 ついでなから、筆者と『パイドロス』の出會ひは、小林秀雄先生のご講演、『感想−本居宣長をめぐって』の講義録(國民文化研究會刊*)を讀んだことが切掛けであった。早速『パイドロス』を手に入れ、對話篇のパイドロスさながら、興奮して讀んだ次第であった。また、本論の元稿を書いた後に讀んだものではあるが、東中野修道先生の『社会思想の歴史十八講』(アジア書房刊)における『パイドロス』の抄譯は、先生のソクラテスに迫る御姿勢を感じさせられる翻譯であった。本論は兩先生の御姿勢に刺戟させられてこそ、考へ續け、そして改めて書綴ってゐる、と言へるかと思ふ。

 執筆は相當の長丁場になると思はれるので、氣長にお付合ひ頂ければ幸ひである。

 

* 社團法人 國民文化研究會刊『日本への回帰 第十四集』に採録。同書は、昭和五十三年夏、同會竝びに大學有志教官協議會の主催により、熊本縣は阿蘇にて行はれた第二十三回全國學生青年合宿教室の講義録である。小林先生のこのご講演については、現在、新潮社カセットライブラリーから、実況録音のカセットテープが販賣されてゐる。