神坂次郎『今日われ生きてあり』(新潮文庫)

 

 神坂次郎著『今日われ生きてあり』(新潮文庫)を讀了しました。特攻兵の遺書や手記、女子挺身隊の女學生の日記、回想などをを引用しつつ、神坂氏の文章は當時の若者の姿を描き出し、このやうな尊い祖先の命に護られて自分が生きてゐるといふことに氣づかしめられます。とにかく、一章讀むのに大變な時間を要します。「涙が吹上げてくる」といふ氏の言葉がありますが、まさにその通りでありました。

 本書にも度々現れる「悠久の大義」といふ言葉。この言葉が、私にはよく分ってゐないといふことに氣付きました。ただ、「大義名分」といふ言葉とは、全く違ふものだと感じました。この青年達の生き方こそ、「悠久の大義に生きる」といふことなのかも知れない、もっともっと祖先の命の證を辿りたい、と思ひました。

 それだけに、裏表紙の解説(恐らく新潮社の擔當者のものでせう)がすこぶる氣に入りません(といふより神坂氏の文章を本當に讀んだのだらうかと疑ひたくなる)。もし、本書の裏表紙を見たが故に手にされなかった方がいらしたら、そんなもの気にせず是非本文をお讀みになって下さい。また、この本にちなんで、「特攻隊員の命の声が聞える」(PHP)も刊行されてをります。併せてご覧になって下さい。


 穴沢利夫少尉が、妻智恵子に宛てた手紙より

(前略) 昨夜来、いまだに降りつづける小雨も春の訪れを告げる。誰かが言った。「かうなると、あの素晴しい青葉、若葉の頃までみて死にたくなった。段々欲が深くなって困る」と。 大事の前には未練がましいと捨てさるものではあるが、誰しも心底に抱いてゐる真のそして悲しい願ひであると思ふ。(後略)
 わが生命につらなるいのちありと念へばいよよまさりてかなしさ極む 粉とくだく身にはあれどもわが魂は天翔りつつみ国まもらむ


 前田笙子(知覧高女三年、十五歳)の手記

 昭和二十年四月十一日
 晩、二十振武隊、六十九振武隊、三十振武隊のお別れの会が食堂であった。(略) みんな一緒に「空から轟沈」の歌をうたふ。ありったけの声でうたったつもりだったが何故か声がつまって涙があふれ出てきた。森要子さんと「出ませう」と兵舎の外に出て、思ふ存分、泣いた。私たちの涙は決して未練の涙ではなかったのです。明日は敵艦もろともになくなられる身ながら、今夜はにっこりと笑って、酔って戯れていらっしゃる姿を拝見して、ああ、これでこそ日本は強いのだと、あまりにも嬉しく有難い涙だったのです。それなのに、私たちが帰るとき「お世話になった、ありがたう」とお礼をいはれた。なんと立派な方々ばかりでせう。森さんと抱きあって、また、泣いてしまった。

 昭和二十年四月十二日
 (略)隊長さんは私たちを始動車にのせて、戦闘指揮所まで送ってくださった。出撃なさる直前のあわただしい最中なのに、どこまでやさしい隊長さんでせう。 始動車の上から振り返ると、特攻機の、桜の花にうづまった操縦席から手をふっていらっしゃる。(略)つづいて離陸する二十振武隊の穴沢少尉さんの隼機が、目の前を地上滑走して出発線に向ってゆく。私たちが一生懸命にお別れの桜の枝を振ると、にっこり笑った八巻姿の穴沢さんが、何回も敬礼された。 ・・・特攻機が全部飛びたったあと、私たちはぼんやりと、いつまでも南の空を見上げてゐた。涙が、いつかあふれ出てゐた。抱きあって、しゃがみこみ、みんなで泣いた。


 大石清伍長が、妹へ宛てた遺書

 なつかしい静(しい)ちゃん! おわかれの時がきました。兄ちゃんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なはの海に散ってゐます。思ひがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。 兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であづけてゐたいうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上るときにつかって下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下のおぢさんにたのんで、売ってお金にかへなさい。兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のはうが大じなのです。 もうプロペラがまはってゐます。さあ、出げきです。では兄ちゃんは征きます泣くなよ静ちゃん。がんばれ!


 特攻誄−あとがきにかえて より

 ここに書ききれなかったものも多い。(略) 当時すでに四十すぎで、三角兵舎の当番兵を勤めていたというその老人は、まだ星の出ている特攻出撃の早朝、熟睡している隊員たちを起しに行き、「起床の時間であります。ただいま四時であります」 そう告げるのが任務であった。ところが、話がそのくだりにくると老人はにわかに顔を歪めて絶句し、大粒の涙を膝にしたたらせた。老人の話は、そこから先に進まなかった。涙をこぼしながら老人は、それでも私のために幾度か話をすすめようとしたが、「起床の時間であります・・・」そう云うとまた咳きあげ、唇をふるわせるのである。